スプレーワークの前に
昨日に引き続き、小春日和の穏やかな天候ですので、掃除洗濯と共にスプレーワークもしてしまいます。
さて、やってきた悪魔のパーツですが・・・・
改良された動力関連以外の部分は、全くと言って良いほど初回発売製品と同じパーツなんですよね。コンパチしても問題ないレベルです。
パーツの色調も、クリームと空色という、実車とは異なる色合いなんですよね。
ということで、バラバラします。
腰掛も外します。
続きは明日。
さてさて、天気が良いので今月下旬に新車に置き換わるというツルリンへ行きます。
この場所も、ホームドアが出来ると立ち入りできなくなりそうな雰囲気です。
かつて、浜川崎線の17m車が2編成で続行運転していた頃の名残りですが、本線の8両編成化が為せるまでは、当分の休眠場所になるのでしょう。
といっても、矢向~向河原の高架化工事の事業自体が諸手続きの不備で暗礁に乗り上げて立ち消えになりそうとのウワサが流れてきていますので、一体どうなることやら。
73系時代から、この川崎行の発車の光景は変わりません。ポイントでガタガタ言いながら出発していく様は、モーター音が静かになっても電車らしいところです。
橋梁のペンキ塗りが終わりました。30年ぶりの塗装工事がつい先ごろ行われていました。昭和の時代は灰色でしたが、前回の塗り替えで水色になり、今回もそのまま水色での塗装です。
ここの鉄橋は70年代初頭の浜川崎線改良工事の際に架け替えられています。
この下をくぐる国道1号線の拡幅工事が、実は戦前から開始されており、南武鉄道時代から別線付け替え方式での高架化工事が行われていました。ただ、太平洋戦争が始まってしまったので、高架工事が完了したのは1950年代初頭という、10年以上の工事になってしまっていて、今の高架化工事と同じ感じですね。
ということで、この周辺も高架化工事の関連遺構が少し残っているのですが、それは別の機会ということで。
この車掌が添乗する風景も、近い将来過去のものになるようです。
急速にワンマン化の波が押し寄せそうです。
そういえば、ワンマン標記が無いんですよね。最近。
いつの間にか省令が変わっていたかもしれんです。確認しておかないと。
そして、この安普請ちゃんの入線改造は、結構な素人改造ですが・・・・。
色々物議がある、このFRPの風道兼天井板は、クリーム色で再塗装をしたようですが、その塗装がかなり恥ずかしい状態で仕上がっています。
長野車両センターの腕もココマデ落ちてしまったかという、実に醜い仕上がり状態です。雑巾で拭き掃除をしたら、却って真っ黒になってしまうような凸凹仕上げ。
このような状態になるのなら、再塗装しなかった方がマシです。というか、FRP天井をさっさとやめてもらわないと、本来は省令の関係で困るんですがね。
折角なのでE131系の2両バージョンを3編成作ってしまった方が良かったのかもしれません。本来のJRならそうしたはずですが、コロナの影響でみみっちくなってしまいました。
さて、冬が陽が低いので、モロ逆光の浜川崎です。
本日は第3編成。
もう少しの活躍です。
都心から都落ちして久しいですが、いよいよ終焉を迎えようとしています。
まあ、国鉄型としては長持ちしたほうですね。
ステンレス車体なら、未だ暫くは使えるはずなのですが、経済的な理由で更新をするというのが今の日本です。
鶴見駅の風景は、全く変わらないですよね~。
73系が来ても、101系が来ても、不思議ではない風景が今でも見れます。
ただ、そうにゃんをココで見るというのは、誰もが50年前には予想もしていなかった光景です。