見る頻度は多かった
お召し機として製造された61号機ですが、穂のでん坊やは運が良いことに東海道線沿いの学校に通学していたため、普通に営業運用している状況を観ることが多かった記憶があります。
もちろん、定期運用が毎日複数あった荷レを牽引する各区所の青いゴハチも頻繁に眺めていたわけですが、当時は機関車よりも自分が普段乗車する電車の方に興味が深かったため、新子安のホーム端でカメラを構えるという一群に混じることはありませんでした。
従って、まともに国鉄時代、ゴハチの写真を撮ったのは、この日の61号機のみです。そのような意味合いでは、この61号機は穂のでんにとって最も親しみのあるマシンになってしまう訳です。
ゴハチは、はっきり言って全くと言って良いほど撮影していません。
やはり模型がメインの趣味であったためか、フィルム代や現像代になけなしの小遣いを投入するわけにはいかなかったのです。
・・・次回へ続く。