穂の原でんしゃ製作所

鉄道模型を楽しくカンタンに工作したい方にオススメ。

10年前は・・・

もう10年、でもまだ10年

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 10年前のこの時間は、運転を再開して大変なぎゅうずめ状態になっている浅草線の車中の人でした。日本橋の駅で乗車した時は全然他に乗っている人がいない状況でした。それが22時50分ごろの話。そして、東銀座、新橋と南下していっても、乗車してくる人は全然おらず、このままガラガラで進むのかと思っていたら、大門で一気に乗り切れないほどの人々が突進してきました。

 その後、各駅で乗ろうとする人は乗り切れず、運転再開した池上線に乗り換えようと思っていたのも、これは無理だと早々に観念し、、、即ち、これだけの人々が3両のチョン行に乗り切れるわけがないと直感で悟ったわけで、、、結局終点の西馬込まで行って、ひたすら国道1号線を歩いて帰宅することにしたわけでした。

 結局西馬込まで結構な混雑でしたが到着したのは23時40分。意外に電車は早く走れた?のかもしれません。

 そして、大渋滞で全く動かない第2京浜(国道1号)の車をテクテク歩いて追い越していくわけですが、一列に歩道を並んで歩いていた乗客も、一人減り二人減りで、意外にも馬込検車区横の交差点では、仲間が居なくなりました。

 途中、自転車屋がやっていて、自転車を購入している方が一人いました。

 川崎方面から都内方向へ歩いていく人々も、ちょぼちょぼいらっしゃいましたが、たまにすれ違う程度。思ったほど歩いている人は多くないと感じました。

 結局多摩川大橋を渡るまで1時間ほど歩き続けたわけですが、川崎市内に入ると、第2京浜は大渋滞のままでしたが、道をそれると普段と変わらない真夜中の川崎でした。

 地震直後は停電していた町もあったようですが、25時過ぎのその時は、既に復旧しており、近所のコンビニは普通に食材もあり、顔なじみの店員があくびしながら迎えてくれました。

 その日のことは、4年ほど前にも少し触れていますが、朝から結構アチコチ出歩く1日でした。ちょうど有明のビックサイトでLED照明の展示会を開催していたので、それを見物がてら、メーカーとの打ち合わせを行い、午後はそのメーカーの大阪からの出張者と共に中野の某車庫まで現車調査という作業に出向いていたわけです。

 その作業の途中に大きな揺れが来たわけですが、仕事は一応最後まで行い、その後は右往左往する次第。そして協力会社の方の帰宅の方向と一緒だったために、バンに添乗させていただき、道中の東京駅そばの会社事務所まで送ってもらって、というのも大変な大渋滞で難儀したわけですが、20時過ぎに事務所に戻ったら、社員みな籠城体制を整えていました。

 幸いなことに事務所の被害はなく、自分が責任者を務めていた部署の状態もプロッタやコピー機が1m程動いた程度で、特に問題もなく、当然電話は不通みたいな感じになってしまったわけで、手分けして籠城準備に奔走していたとのこと。もちろん東京駅のコンコースは帰宅難民であふれていました。

 この時初めて、皆の無事な顔を見て、事務所に戻って良かったと思った次第。

 自分の家には、既に帰社途中にケータイのメールがつながったので、帰れるときに帰ってくれば良いよ的な感じで、随分とのんびりしていたので、夜に家に戻った時は既に皆寝ている状況でした。

 

 今日は、その体験を忘れないように、久々に西馬込から歩いて帰宅しようかとも思いましたが、この10年での体力の低下(老化?)があるためか、脚が痛むので早々に断念と相成りました。休日の散歩で歩くことになりそうです。

 穂のでん坊やの由来は石巻ですので、やはり親戚の多くは被災しておりまして、この日から暫くの間、穂のでん家も色々と大変な日々を過ごすことになったのであります。

 このような災害には、2度と遭いたくないと思う次第。