理由は ある
南武線の浜川崎駅と、鶴見線の浜川崎駅は、道路を挟んだ別々の位置関係にあります。線路がつながっているのは、扇島寄りに更にそれぞれ進んだ、浜川崎駅構内貨物仕分け線跡地??という、本来の浜川崎駅の主幹部分になってます。
ということで、本来なら商店街みたいなものがあっても良さそうなのですが、そこは工業地帯のど真中、労働者向けの売店が少し歩いたところに1軒あるのみで、全くの殺風景な道路があるのみです。
さて、何故だかPS22を購入。理由はあります。そのうち使います。
今回の接続も、浜川崎折り返しの鶴見行きでした。
その、浜川崎駅の貨物仕分け線跡地横の本線上へ引き上げて転線します。
この先、昭和、扇町へ休日向かっても、空気を運ぶだけになりそうですので、1時間に1本のみになります。海芝浦と違って、どちらの駅とも散歩などの行楽で行ってみても何もありません。テクテク歩いて戻って来ても十分時間が有り余る感じでしょう。
暑いのでやっていませんが・・・
さて、転線されてきます。
さて、本日は第9編成。
本日は比較的観光目当て客が多いようです。
3両編成で、パンタ付きのモハのみオリジナルの車番ですが、アクリルの車号名板ではなくシール式に交換されています。
ワケありの日立製です。国鉄の威光でステンレス車の製造技術を手に入れたわけですが、結果として現在ではステンレス車の製造から撤退しています。
さて、▼標記が追加されているのは何故でしょう。
一応、記録しておきます。
初期車特有のアルミ型材の冷房吹き出し口。結露対策でテープを上貼りしていますが、少しみっともない状態で長年過ごしました。横流ファンのポリカ製整風板は、一部新品に交換されているようです。流石に30年以上も使うと劣化してきますんでね。
扉周りは、近年妙に表記だらけになっています。日本人はそこまで注意喚起されないと身を守れないという、だらしがない習慣が兼ね備えられてしまったようで。
シンプルな内装だったんですがねえ。38年経過した電車には思えない綺麗さが残っています。化粧板の耐候性は101系や103系初期の頃よりも格段に向上していることが判ります。
さて、30年ぶりに弁天橋駅に降り立ちました。
側線は草生す空き地になっていますが、まだまだ線路は残されています。
・・・そのうち続く。