長い活躍でした
平成元年から28年までの、ちょうど28年の活躍期間となりました。普通の国鉄通勤電車としては、どちらかというと長めの期間であったと思います。
かつての101系や103系と比較すると、大規模な改造工事が無い分、比較的原型に近い状態を保っていました。通勤電車としてのサービス機器が、昭和の終わりごろでは大概揃っていたから、ということにもなります。
最近はテレビがつくのが当たり前になってきていて、昔の京阪特急もびっくりの状況です。
もし民鉄の車両だったら、武蔵野線用のようなVVVF化改造の他、近年のテレビ改造もして、更に活躍していたのかもしれません。
床下の丸いカタツムリのお化けのようなMGも、最近は珍しくなってきました。MG車はパンタを下しても、暫く行先表示器の蛍光灯などが点灯して、次第にチラチラして消えるという状態を見ることができました。
矢向駅に隣接する、かつての貨物ヤードも、今や昼間は満線となる留置場に完全に鞍替えしました。DD13やDE10が入れ替えしていた頃が懐かしくなります。
この28年、川崎名物の長十郎梨の梨園は少なくなりましたが、桜並木が増えました。
引退が決まってから、ドカ雪に見舞われるとは、思ってもいなかったでしょう。101系が大活躍していた84年2月の大雪の時は、ドア故障が頻発し非連動で営業運転続行が多発していましたが、205系では意外に故障が少なかったようです。
日本では陳腐化してなどという理由が付きますが、これからインドネシアでは長い活躍が期待できます・・・?。日本人は、一体どこまで贅沢になっていくのでしょう。
・・・おしまい。