穂の原でんしゃ製作所

鉄道模型を楽しくカンタンに工作したい方にオススメ。

寒空を北へ向かう その2

風景すっかり変わってしまう

 単独編成のつばさですが・・・・

 本日、インシデント張りの、大幅なオーバーランをしでかしてしまいました。このような事態が起きると、単独運転の機会が減らされるかもしれません・・・・。

 さて、乗車したのは速達列車の「はやぶさ・こまち」で、一眠りすると仙台に到着。乗り換え時間が短いので、そそくさと「地下」ホームへ行くと、ラッシュ時間のような大混雑。陸前原ノ町を過ぎると地上に出て、そのまま高架の苦竹に到着。その後は高速で一面の田んぼの中をかっ飛ばすと思いきや、住宅街をタラタラ走り、ナントカ新田などという駅が出来ていて、すぐに到着してしまいました。。。

 その後、少しずつ乗客は減り、やっと席にありつきましたが、沿線は高架化が進んだり住宅地が増えたりして、西塩釜を過ぎてようやく見覚えのある風景に戻りました。

 ところで、車内の混雑は変わらず、なんと松島海岸で一斉に皆降りてしまい、車内は各車5~6人ほどしか残らないモヌケの空になってしまいました。

 ほとんどが観光客だった・・・・、ということです。

 かつては高城町を過ぎても立客がいるほど混雑していたのですが、雰囲気は全然変わってしまってます・・・。

 そして、有名撮影地であった陸前大塚~東名の海中堤防の区間は、津波による被災で線路付け替えが実施されたので、このように廃線跡になってしまってました。

 この先の坂は73系でも戻し2ノッチで上っていた力走区間でした。

 廃線区間では205系が2編成残され、1編成は津波に飲み込まれて大破し廃車となったのは皆さんご存知の通り。その車両の近くでは、穂のでん坊やの義理の伯父がデイケアの車もろとも流されて、亡くなってしまいました。

 そして、こちらの廃線跡。ちょうど画面の真ん中付近に、あと1編成が停車してこの場に留まり、津波の被害から免れています。

 かつての73系は、この辺りで再力行して鳴瀬川の橋梁へ向かっていました。

 途中で東北本線経由の仙台行きのハイブリッド車とすれ違います。車内は空席が目立ちます。

 復興住宅地には新駅が出来ていました。そして、終点の石巻は、社線時代の駅舎から移動して、石巻線の駅と統合されていました。

 コンテナ貨物が居て、産業が復活しているようです。よかった・・・。

 新型ディーゼルは、新鶴見でも時々見かけるDD200。

 あれ、「愛」なんだ。昔の感覚だと、どうしても小牛田機関区だ、と思ってしまうのですが、昭和は遥か彼方へ過ぎ去ってしまいました。

 先頭化改造の205系です。

 仙台から乗車してきたのはM11編成。

 石巻線の車両も新型ディーゼルになっていましたが、既にこの形式も最古参グループになってしまったようです。

 どうも穂のでん坊やの感覚は、未だに平成初期のままのようです。

 

・・・そのうち続く。