アタイはナナシ
単純に組んだだけで作業完了したクモル+クル。
この車種が活躍した1980年代は、各電車区で実施される作業が多く、また台検などもあったり車輪旋盤が設けられている区所が限られているなどのため、定期的に大井工場などから大型部品を運搬する必要性に迫られていました。
いまや、自営で出来る仕事は、かなり限られてしまう状況となり、これらの車両が必要となるような場面が無くなってしまいました。メンテナンスフリーは、技術の廃退と表裏一体な側面が多く、今やその負の効果が顕著になってしまっています。
ということで、廃車するにはマダマダ勿体ないと思ってか、当時の大船工場で解体せずに構内の入れ替えマシンとして存置された、この個体。一説には1号車との話もありますが、真意の程は不明。関係者に聞かないと判らないでしょう。
で、101系の改造名義となっていますが、台車と一部の部品の流用というものであり、車体は新造。新性能事業車両の101系改造名義というのは、単なる車籍継承であり、実質的な部品流用も、当人のものを流用したか定かではありません。特にDT21などのプレス台車枠は、亀裂が入る前提の構造で修理しながら使用するため、予備台車枠を使いまわしするのが通例だということで、結局紐付けする意味が無いわけです。
まあ、そんなわけでクモヤが車齢50年とか60年とか言っているのは、あくまでも帳面ヅラの話であって、それほど深い意味を求めても無駄。歴史を知って楽しむだけのものです。と言っても、嘗ての103系3000代のように、ご丁寧に昭和27年の銘板を継承していたのは、実に趣があります。
で、OYから当時のウラ、モセ、カマ、イケに部品を運ぶ際は、必然的にATC区間を走行しなければならなくなるため、それまで使用していた旧型国電改造のクモル23,24やクル29は、自動ブレーキ車だったためATC化改造は非常に大規模となり、事実上改造不可能のため、本形式が準備されたわけです。旅客車ではないため、走る止まるという基本動作が出来れば良いので、廃車が始まった101系や153系から発生した部品を流用する、ということで安価に車両調達ができたわけです。
まあ、今の我々が銀座5Fや秋葉原あたりで、安価な中古品を調達してくるのと一緒です。模型も走ってナンボの世界。事業用車も使い倒してナンボの世界。とにかく本来の役目を大いに果たすことに意義がある存在です。
で、この手入れで1Mとしましたが、果たしてまともに走れるのかどうか・・・。
・・・おしまい。