高崎から蒲田へ
週明けはいきなり徹夜勤務が控えているため、日曜日はゆっくりと家で安静にしておきたい心境です。やはり24時間ぶっ通しの稼働が身体に堪える年代になってきてしまっているのを実感します。
さて、電留線では1両だけぽつんと置かれているD51が、まずターゲットになるのですが、あまり人気がありません。
おじさん連中は全く見向きもせず、家族連れや子供、若者が少しだけ見物していて閑散としています。埼玉群馬では、普通に見ることが出来るカマなので、でしょうか。
我が新鶴見機関区でも、ごくありふれた存在でしたが、横にいる12系と同様に、普通の存在なので人気が無しなのでしょうかねえ。
穂のでんにとっては、一家に一台いかがでしょう?というマシンなのですが、我が家にD51はありません。プラレールでもありませんでした。
そのかわり、かりんとうはたくさんあります。
ピカピカ過ぎるのがD51らしくない、と言われれば、その通りという感じです。
いっそのこと、つや消し黒で塗装してみてはいかが?という感じです。
さて、人気の電機については、総ナメしていきます。ニーナ側は人だかりしていますので、時間節約のためにロクヨン側から攻めていきます。
64にヘッドマークは違和感を感じる世代ですので、90年代の再現という並びということでしょうか。
こちらはトミックスから製品が発売されていますので、再現が比較的容易です。東日本仕様は売り切れ?でしょうか。穂のでんにも以前在籍していた時代がありました。
やはり穂のでん世代では、この組み合わせ。55-10前後の再現には、これでなくてはいけません。どちらもKATOの製品が手頃ですが、市中在庫切れという状況でしょうかねえ。かなりお高い真鍮キットは、流通しているようです。
そういえば、1000番代の通風ルーバー付き初期型は、既に消滅していたでしょうか。ブルトレは牽引しなかったはずですが・・・。右の1102号機さんの兄貴分である2101号機さんも、この色に復活して新鶴見に出現してきます。
所属会社が異なると、兄弟であっても活躍頻度が随分と異なるようです。
こちらは、屋上に空調装置が取り付けられてしまいました。
そして、何故かEF66にもヘッドマークが取り付けられました。かつての再現ということになりますが、屋根上の空調が少々重たい感じがします。0番代はこのマシンしか現役が居なくなってしまいましたので、何にでも引っ張りダコになってしまいます。
でもまあ、どうして66だけが、こう変わったスタイルになってしまったのでしょう。当時の経緯などの雑誌記事が色々あるけれど、あまりパッとした理由というところの記載はありません。
まあ、ニーナと言われるからには、この彫の深い造型が東洋的ではないというところもありますが、結局のところそれらも邪推でしょう。ただこの形態でスペインに輸出しました、という事実だけは残ります。
本当のところは、D51とEF66の場所は入れ換えてほしかった感がありますが、まあ一般的にはこちらの並びが人気あるでしょう。
というところで、ブルトレ3代の並びが今年も実現されました。平成も遂に終わりますので、昭和は更に遠くなっていきます。そのうち消えていくのでしょう。
というところで、機関車の並びを楽しめた高崎でありました。
・・・次回へ続く。