これも2種
浜川崎線の101系と言えば、4本ありました。
4本?といわれると、違うではないか!と怒られそうでありますが、3本ではありません。4本です。国鉄末期の合理化で1ユニット削減されてしまったのです。
クモハ101でいえば、130,150,180,188です。このうち150のユニットが削減されてしまいました。
これら4ユニットとも、支線に入る前は本線で、しっかりとそれぞれ中間車とユニットを組んだ6連の一部を成していました。本線運用時代は、結構乗車する機会があった個体であります。今でも覚えていますねえ。901,902、18、19、44、51,70,72、77など2ケタのものから、119、130というように進んでいき、163、168などの冷房車へと突入していきます。これらの6連の非冷房車の後期型からユニット替えをして2連になったわけです。101系は他の新系列車両とは異なり、頻繁にユニット替えが行われていた形式でもあります。
さて、
鉄コレでは最若番のクモハ101である130号車が、2回発売されてた鉄コレで抜擢されています。写真の通り、方向幕がいくつかバージョンがあるらしいのですが、そこまで穂のでん坊やはチェックすることはしませんでした。
後期型ではありますが、抵抗器の耐雪ブロアカバーはJR化後まもなく撤去されてしまっていて、その姿が再現されています。昭和の時代は、新聞紙を巻き込んで走る姿が結構見受けられていたものでした。
そうですねえ、駅の道床は昭和の時代よりも格段にキレイになりました。昔はタバコの吸い殻がひどかったものです。ボヤ騒ぎは頻繁にありましたが、現代のようにニュースになるようなことはありませんでした。日常茶飯事だと、ニュースになることもないのです。
さて、こちらの101系の場合、屋根の色は同じです。
あえて変える必要もなかったのでしょう。簡易冷房改造された際に、屋根布からロンッテクスに塗り替えられています。
101系は延命工事などの集中更新工事対象にはなっていませんでしたが、なぜか浜川崎線の編成は、あちこちと更新修繕が施工されています。化粧板交換、ケ込み板交換、カーテンケース交換、床敷物張替え、などなど。
そして最終的には201系と同様、妻窓埋め込みまで施工されてしまいました。ここが今回の製品の数少ない差異部分。表記は新発売品の方が綺麗に印刷されています。
シルバーシート標記の廃止も、しっかりと再現されています。
この簡易冷房改造、結局どうだったのでしょう。
改造の手間が省けるということで、103系や115系では区所で外注業者による施工という工事が出来たことが、最大の利点かもしれません。
しかし、この101系については経年という面やP改造もあったため、金沢への入場改造となったようです。
当時の経緯は知りませんが、そこまで101系を使い倒す必要があったのでしょうかねえ。
まあ、使い易い車両であったことは事実ですので、当時流行った変な電車を開発されてトラブルで苦労してしまうよりは、こちらの使用をナハが希望したのかもしれません。
いずれにしても、この冷房化で活躍期間が延びたのは事実でしょう。