今は無き武蔵中丸子まで
平間駅は、尻手と同様今でも瓦葺の日本家屋の駅舎です。
お馴染み昭和11年の陸軍写真には、この場所の駅舎は無く構内踏切のみあって、もう少し先に駅舎があったようです。
そして画面上の方には、今は無い武蔵中丸子駅の対向ホームもはっきり見えます。
さて、この区間は府中街道が線路から離れていますので、線路の右側は現行上り線の跡地を流用する幅員5mの歩道が出来、西側には幅員6mの対向車線が新設されます。
線路の両側は住宅地の区間ですので、西側は悉く立ち退きとなることとなります。
さて、新たな車道は線路東側と現行の踏切位置で接続道路が構成されますが、1か所新たに設けられるようです。
ちょうど住宅展示場の付近です。今もすこし道路があります。
道中で、少し線路の下り勾配が構成されるようです。
さて、昭和16年の陸軍写真では、多摩川沿いの有吉提よりも川原側の氾濫域に宅地が出来ています。また現在の住宅展示場の付近は田んぼが潰され整地されているようです。
そして昭和19年の陸軍写真では、たくさん工場が出来上がっています。
すこし珍しい写真を見つけました。昭和20年撮影で、一応名目は陸軍とはなっていますが、写真の精度を見ると米軍撮影かもしれません。この頃は空襲するターゲットを定めるために、米軍は高度からかなり撮影していたので、その1枚のような気がします。折角なので矢向から小杉まで写っているものを。
5/25の川崎空襲前の、最も軍需産業が盛んだった時期の貴重な撮影です。
多摩川の氾濫域にはたくさんのバラック住宅が建てられています。
そして、これまた貴重な米軍撮影の昭和20年のもの。空襲被害に遭ったはずの平間と武蔵中丸子のホームには、無傷の待合室が上下ホームに残ってます。
あれ? 休止になっていたはずなんだけど。駅舎が無いから?? でも中丸子にはそれっぽい建物あるなあ??? 平間は無さそう。
そして昭和21年の米軍撮影。武蔵中丸子のホームは残っていますが、屋根が消えてます。周辺の工場は悉く焼き払われて空き地になってます。平間は現行の位置に新しい建物が出現してますので、この復旧工事で作られた駅舎が現行のものということのようです。構内踏切あるあるです。
昭和23年。武蔵中丸子の駅はホームの盛土状態になったようです。廃駅になったのは、平間駅までの道路を作って沿線住宅の脚を確保するということがセットになっていたはずですが、道路は未だ未だありません。途中の工場らしき建物から盛大に煙が上がっています。空襲被害からいち早く復活したようですが・・・
今回は写真にはしていませんが、この工場は昭和30年代半ばには撤退して団地になりました。
さて現在住宅展示場になっている場所の工場は空襲に遭わなかったようです。
そして、昭和30年の写真では、線路から少し離れた場所に道路が出来上がりました。この道路が現在商店街になっていますが、まだこの頃は田畑が広がっていました。
昭和34年。少し住宅が増えています。旧河川筋の土地が低い場所に宅地が先に広がったのが少し気になりますが・・・・。
この頃は武蔵中丸子駅跡に、変電所はまだなかったようです。
このように、沿線には工場と田畑が隣接していた経緯があるため、この区間は現在では線路際にぎっしり家が埋まっているかと思えば、ずっと空き地(駐車場)だった場所も混在する、少し不思議な沿線です。
さて、平間駅前踏切。ガス橋から府中街道へ抜ける市バスも行きかう主要道路になるのですが、狭い道路です。
向河原側です。左側の宅地が高架用地と道路になります。
そして計画図によると、建物を壊して直線道路に付け替えられる予定になっています。
二ヶ領用水の暗渠が残る、こちらが旧府中街道と思われます。
府中街道の交差点から平間駅の方向を見ます。
府中街道の鹿島田方向です。
こちらが市ノ坪方向。新たな道路はかっぱ寿司の駐車場付近を横切って、そのまま横須賀線の陸橋へ直接つながる予定です。これにより、この付近の朝夕の渋滞緩和が期待されます。
さて、線路西側には全く線路に沿う道路が無いので、東側の戦後に新設された道路を向かい側方向へテクテク歩いてきます。
最近まで駐車場だった場所にはセブンイレブンが出来ています。この線路の先が例の住宅展示場です。
そして、戦前には踏切があったと思われるこの場所が、高架化後に向こう側と接続されると思われ、道路が復活します。
そして、1か所ある旧川筋沿いのアンダーパスは、高架化後には一体どのように変化するのでしょうか。宅地の高さと道路の高さ、線路の高さがそれぞれマチマチなので、このあたりの工事は面倒なことになりそうです。
線路の反対側には緑道が連なっています。画面中央の木立の右側が、例の煙たなびく工場だった場所です。
この辺りまで来ても、商店がポツンポツンと点在する、比較的距離が長い商店街です。
そして、路地を入ると踏切があります。
車両通行禁止の踏切です。南武線では珍しい存在となりました。
鹿島田側には、緩いカーブがあって、少し面白い景色が見えます。
子とされている高圧鉄塔の一部が細く改築されている、これが戦後間もなくの改良工事の跡だった、ということでしょうか。。。
向河原方向です。先の白い変電所の建物の横から、高圧鉄塔が残されています。
その変電所の建物。この場所に武蔵中丸子の駅がありました。
昔は駅前踏切だったんでしょうかね。
多分、パイプ鋼管の電化柱は高圧鉄塔を交換したものだったはずです。
そして向河原方向は、線路の両側の敷地がホーム跡ということもあって、随分と長い区間で線路用地が広くなっています。
駅は残しておいても良かったかもしれません。
・・・そのうち続く。