ネタ切れ
梅雨に入りスプレーワークも出来ず、昼間からZoom会合も行い、今日はぐうたらデーになりました。
そのため、何もネタがなく、過去の画像を漁ることに。
テッパクに居る101系。長らく大井工場の門の横に鎮座していましたが、209系試作車に場所を譲ってこちらにやって来ています。
といっても、穂のでん坊やは現役時代に数回利用しています。営業最末期です。
ちょうど当時の「ノーリツ」に通い出した頃なので、まだ901も902も6連に編成替えされた川崎方の先頭で、南武線で活躍していました。他の101系とは随分と造作が異なる個体でしたので、やはり試作の900番代ということを、ガキながら納得していました。
蛍光灯の取付向きが違うんですよね。また通風孔も現役。傾斜窓上の取り入れ口が埋められていたものもあり、実質機能していないものもありました。
窓周りの造作も量産とは異なり、ワイパーシリンダーも大型でした。
ケ込みは73系の920番代のように傾斜があるタイプ。量産から垂直箱型になりました。103系の途中から、このタイプに再び戻りましたので、歴史は繰り返します。
初期車はカーテンキセが戸袋窓は独立していました。途中から側出入口縦キセにぶつける通しタイプに変更になっています。また荷棚も正真正銘の網棚でした。手前の握棒が未装備の最初期状態です。
この戸袋窓に貼るタイプの路線図も懐かしいものです。201系が登場して暫く経ってから、現在の鴨居広告枠の差し込みに変わりました。
塗装の状態はイマイチですね。パテの仕上げが中途半端かもしれません。
こちらの路線図は、武蔵野線が未だありませんが、常磐線が快速と緩行に分かれていますので、昭和47~48年頃ということでしょうか。
この個体は、クモヤに挟まれた中原からの廃車回送?を目撃しています。結果として武蔵小金井電車区に長期留置になって、保存という経過となったわけですが。。。津田沼から転入してきた101系の冷改車により置き換えられたわけです。
この後南武線は急速に冷房車が増え、国鉄末期は首都圏でも有数の高冷房化率を誇る路線に成長しました。ただし中古車ばかりであることには変わりませんでしたが。