形態の変化
この1930年前後の電機の形態は、車体製造メーカーにより若干の差異がありますが、その系統は受け継がれています。
先ずはロッド式終末期のマシンとなった今回のE75.
リンケ=ホフマン製の車体は、前面のヒサシが車体一体で構成されているのが特徴です。1927年からの製造になっています。
さて、次は1932年登場のE44です。最初の1号機のみの登場で、若干ヒサシの形状が特殊ですが、翌年の1933年登場の量産機からは・・・
先頭部に小さい機器室が生まれた、俗にいうワニですが、ヒサシ形状はしっかりと受け継がれています。車体メーカーはクラウスマッファイやヘンシェルなど4社ですが、ほぼ共通の形状になっています。
ところが、同じく1932年に登場したE04においては・・・
ワニですが、ヒサシの構成は、どちらかというと日本や、お手本になったWH、デッカーマシンのように、屋根は屋根、窓の上に板のヒサシを別付する構成になっています。こちらはAEG即ちアルゲマイネでのみ製造されたマシンですので、ベルリンスタイルとでも言うのでしょうか。
そして、極めつけは、同じく1932年に登場したE44.5です。
こちらはベルリンにあるアルゲマイネとシュヴァルツコップで製造を分担していたようですが、初期の出力が低いタイプでは、この車体。
そして1935年に製造された出力増強マシンでは・・・
車体の構成が若干変更され、E04と似たような構成になりました。
その後、世界的流行による流線型形状などが入り混じり、従来のような箱型車体は、前面ヒサシの構成が両者混戦の感じでした。そして・・・戦後まで製造が続いたE44は従来の形状を維持し、同じく戦後まで製造が続いたE94においては・・・
屋根板のヒサシタイプになり、最後まで形態を維持したまま製造され続けましたので、ドイツ国鉄の旧型電機は、2形態を維持したまま戦後まで続いたということになります。
実に面白いことです。
・・・次回へ続く。