更新して登場
冷房化の時期は各社とも国鉄時代の昭和60年でしたが、その頃は国鉄の分割民営化が見えてきた時期であり、一時期中断していた103系の冷房改造が再開されて濫発されていた時期でした。そのため、当時あった保全工事は施工されずに、単なる冷房改造のみでした。
そして分割民営化後、JR東日本では昭和40年代に製造した車両の車体更新工事を精力的に実施することになり、平成元年にはその第1陣が登場し始めました。本車もその仲間であり、4月~6月に順次施工され10両揃った段階でこの装いに仕上がったわけです。
さて、、、
毎年恒例、日銀本館前の桜並木です。
その名も「江戸桜通り」で、コレド室町の横まで続いています。
奥の方まで続いているんですが・・・。
肝心の日銀本館が、ここ2年ばかり耐震補強工事中で、塀に囲まれてしまっているんです。良い写真が撮れないんです。へい。
ということで、三越本店の裏側です。これでは判りません。
ずれて、三井本館と共に入れてみました。
今年は、何故かこの時期忙しすぎて、夜の写真が撮れていませぬ。。
ということで、今年は昼間の柱の並びを。。
コレドの横から、日銀の方向を覗くと、こんな感じになります。
日本橋の袂の舟着場に、少々可愛らしいキッチンボートが舫っていました。
さてさて、この103系は車体更新工事の雛形みたいなもので。。
モデルは、そこまでの再現は不十分になっています。保全工事では鋼鉄製側引戸の車両が対象だったので、ガラス押えを金属化したステンレス側引戸に交換するのが特徴的なものでしたが、こちらの車両のように既にステンレス側引戸となっていたものについては、Hゴムの固定だった構造を引き継ぐ形でガラス押えの金属化を図っています。
そのため、従来はHゴムの灰色や黒色塗装で表現されている部分が、銀色塗装になっていて、その雰囲気としています。当時の鉄道月刊誌では「東武鉄道8000系の車体更新工事の方法を参考に」と表現されていました。今は廃刊となってしまった「電気車の科学」に構造図入りで解説がありましたので、結構参考になります。
今回のモデルでは、黒色のHゴムと、その金属押さえの表現がされているというところのみ、という感じです。妻面のキャンバス押さえが残っているのは、モデルとしての流用車体であるということだからでしょう。実車はロンテックス塗り屋根化されているので、キャンバス押さえは削って仕上げる必要がありますが、そこまで手はかけたくありません。
地下車はCS20ではなくCS40搭載になっています。それと・・・
騒音防止の観点でMRが自然通風式となっています。そのため折角貼替した床敷物が焦げて変色してしまうのも特徴になっていました。
この車はそれまでの101系とは異なり、安普請化のため台枠上面にt2.3の鋼板を貼っただけで床敷物を敷いている構造です。防音も断熱効果も、大して期待できないものでした。
そのような観点では、安普請ちゃんの伝統は、この頃からということでしょうかねえ。
一般的に、国鉄型は堅牢で丈夫、なんていう風評がありますが、それは決して正解ではありません。そんな根拠が定かでない風評が定着してしまったのは、嘆かわしいものです。車体断面図等をみれば、民鉄の車両と比較して、本当に堅牢?と言えるかどうか。しっかりと事実を見てから評価しないといけないものですので、マニア界の定評は実際に技術的には、それ違いますというのが結構はびこっています。注意しなければなりません。
・・・次回へ続く。