のどかな開放日
先日のOY公開日に展示されていたEF8181を思い出してみると、国鉄時代の末期に新鶴見機関区が一般開放された時にも展示されていたことを思い出しました。
ヘッドマークが変なものばかりですが、カマとしては当時の主力機。EF62は東海道貨物としてEF58から置き換わったので、高崎信越のヌシから一躍第1線に登場したばかり。ただ流石にCC機の高齢マシンでは東海道~山陽の走行には酷だったようで、分割民営化に伴い引退していきました。81号機は、御召仕様の外観のまま残され、この後30年この装いが維持されることになりましたが、この頃はそうなると誰も想像しておらず。
こちらのDD51842も、この春のOM公開で展示されていたカマ。この頃は、若干御召仕様でありながら、適度な汚れで一般機に交じって活躍していました。
そしてお召し機の代表、EF5861。ピットに向かう線路上にポツンと置かれたままの状態で、特に立ち入り制限をされることも無く、ペタペタと触ることもできる状態です。後方にデッキ付きのマシンが居ますが、そちらは
EF15200。この頃は急速に両数を減らしていっている最末期の状況でしたが、まだ現役マシンでした。後方にDD13が居ます。
これらの写真を見てわかるのは、今のような規制がほとんどされていないこと。また撮影者の人垣が全然ないこと。
好き勝手に写真を撮ることもできたし、機関車を観察することも可能でした。
今の時代とは雲泥の差。実に平和な時代でした。
このように、今となっては貴重なマシンばかりの並びも、当時としては一般的なマシンの並びで、こちらも人垣ができるほどというものではなかったものです。
この頃、穂のでんは50mmレンズ1本のみで撮影をしていたので、アングルの選択とフィルムの枚数を気にしながらの撮影で、なかなか難しいものでありました。
今の時代、デジカメで気軽に撮影できるようになったことも、混雑の一因となっているのかもしれません。
一期一会の撮影会の思い出です。