かつて保管機でした
最近新館を増設工事中だった鉄博の、その建設地は広場でした。
ある年のGW、大宮に保管してあった復元塗装機が展示されていました。こちらのマシンもカラフルな部類に入るのでしょう。
塗装が綺麗に整備されていますが、自力で動く状態に整備されていたわけではなかったようです。廃車となったマシンが解体を免れていて、それに青大将の塗装を施したものだから、珍しさにずっと保管機になっていたという偶然の賜物です。
あくまでも保存ではなく、保管。
ということは、管理しておく道理が無くなれば、処分されてしまう訳であります。
その道理というのは、社会が経済的に余裕が無くなれば無くなるほど、ハードルが上がっていきます。それはエリートたちの価値観が数字に管理されるからであります。
そのような価値観は、ある一面の評価方法でしかないことは、その部類の人々には理解できないようです。実に軽薄であります。
で、別の価値観を楽しむ人々は、模型で楽しむ方法を生み出すわけであります。模型がやめられないのは、そのため? 多分それも一面の理由に過ぎないでしょう。
実に奥が深いのであります。いつまでたっても解は得られません。残念。