穂の原でんしゃ製作所

鉄道模型を楽しくカンタンに工作したい方にオススメ。

KATO 10-1345 南武線 クモハ11200 その3

クモハ11248

 この車両は、廃車後も大船工場に保管されていましたが、同所の廃止とともに残念ながら解体されてしまったそうです。

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 日本では動態保存の文化がプアーであり、社会的な体制がプアーなことも一因となっているでしょう。

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 さて、このクモハはクハと違い、リベットの本数が少なくなっています。シルヘッダーの部分と扉周り裾周りのみのリベット打ちとなっていまして、40系以降の車体のような造りになっています。いわゆる電気溶接試作車と呼ばれる一族の1両です。

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 ナハに残された17m車は、比較的幸運な使われ方をしていました。晩年は支線のみの営業となっていましたが、4本の配属で2本の使用、ラッシュ時間帯のみ3本使用ということもありました。本線に73系が活躍していた時期は、付属編成に使われる場合もあれば、101系4連の予備充当に使われることもあるなど、晩年まで第1線で活躍していました。

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 国鉄末期から、弁天橋所属の車両も中原に移管されたため、大川支線の車両も交検のたびに定期的に中原回送があり、平成時代になってもその姿を見ることができました。

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 浜川崎支線での活躍は昭和55年に終了しましたが、その後も1度だけ17m車が営業運転をしたことがあり、それが実質上の最後になっています。1989年6月に、本線上で踏切事故があった影響で翌朝に中原から101系の出庫が出来なかった際、弁天橋のクモハ12がノコノコと尻手までやってきて、復旧するまでの間の半日程度往復運用を受け持ちました。休日だったので、1両で賄えたのでしょう。といっても、昭和40年代の昼間は中原のクモハ12でも運用していたこともありました。

 今でも、川崎鶴見の臨港地区は、17m車が似合います。

 

おしまい。