8045F Aug. 1979
当時の田園都市線は大井町~つきみ野。長津田から先は単線。緑色の3450形から最新鋭の8500系まで、ありとあらゆる形式が混ざって活躍する、変な路線でした。二子玉川園~渋谷→半蔵門線は、新玉川線として独立して線内運転しており、ラッシュ時間中のみ二子玉川から田園都市線の直通運転を一部していました。
今のように大井町線が復活し、田玉線が直通運転定位となったのが1980年の7月。その1年位前から、東急全線での車両の融通が始まり、編成の統一化が着手されました。
手始めに8000系と8500系の編成替えなどが始まり、その中で田園都市線用として製造された2パンタ車を含む2編成が東横線に転属してきました。
この8045Fが、その編成。転入当初は2パンタ車のまま運転されていました。
この5次車は1973年度製。8000系の編成としての増備は最終年度となります。その後は中間車のみの増備が1986年まで続きます。
クハ8045.当初からSR無線アンテナの準備工事がされていて、本工事化の時に前位のみに取り付けられました。
デハ8238.東横線転入に際し6連化のため新造された10次車。
デハ8148.同じく新造車。この2両は側面表示器の窓幅が字幕と同じになったので、今回発売された8000系のセットではなく、5年前発売の8500系3両セットの中間車から流用してきました。表示器窓以外の模型の仕様は同じ。
デハ8223.4連の中間車。田園都市線で5連として活躍していた時期はコンプレッサが2台搭載されていましたが、パンタ撤去と同時期にコンプレッサも1台撤去されました。
デハ8144.今回の目玉の2パンタ車。田園都市線時代の名残りで、シルバーシートが存在しています。その代わり隣接のクハにはシルバーシートがありません。
クハ8046.
この編成はデハ8100に特徴があります。
といっても、この後に更に中間車の増備が続き、編成内に様々な年次の車両が混結されていく時代に遷移し、最終的には8連に統一されて21世紀を迎えることになりました。
それにしても、まだまだ田園都市線で大量に8500系が活躍していまして、この系列も50年越えの活躍となりそうです。それを考えると、3450形と同じくらいの活躍期間になってくるのですよねえ。1989年の引退時には大騒ぎをしていましたが、それを考えると、8000系列は、随分と息の長い車両になったものです。
・・・とりあえず、今回もひとまずおしまい。